夏の日差しが強烈な毎日が続いていますね・・・。

ここまで暑いと、太陽がうらめしく思えますが、同じ太陽の光でも、冬のあたたかな日差しは気持ちが安らぎます。

冬になると、私はリビングのカーテンを全開にし、入ってくるぽかぽかとした日差しを浴びて、ひなたぼっこをするのですが、これが心地よい眠りを誘い、なんとも贅沢な時間なのです・・・。

と、ここでふと思ったのが、「ひなたぼっこの由来って何だろう?」ということ。

そこで今回は、日向ぼっこの由来を解明したいと思います。

スポンサーリンク

「ひなたぼっこ」の由来とは?

出典:photo AC

ひなたぼっこの由来は複数あり、「コレだ!」という決定的なものはありませんが、由来として「これかも?」と思われるものを2つ、ご紹介します。

「日向惚け在り(ひなたほうけあり)」が変化

「日向惚け在り」というのは、「日の光を浴びて、ぼーっとほうけている」という意味です。

私が冬に楽しむ至福の時を表すのに、まさにピッタリのことばですね!

この「日向惚け在り」が少しずつ変化し、「ひなたほうけ」→「ひなたぼっこ」に落ち着いたのではないか、と推測できます。

「日なた誇(ひなたほこり)」が変化

「日なた誇」の「ほこり」は、「ほっこり」から来ているのではないか、という説です。

この「ほっこり」、なんとなくイメージできるとは思いますが、ことばで説明すると、「暖かそうな様子」という意味。

私の持っている「ほっこり」のイメージを言うと、ただ単に「暖かい」という温度に関するものだけでなく、気持ちにも作用するような暖かさが「ほっこり」にはあるように感じます。

例えば冬場のこたつ。足から体を暖めてくれるだけでなく、こたつに入ると心の底からリックスできるような安心感が得られる暖かさ、という感じです。

少し話がそれてしまいましたが、この「日なた誇」が「日なたぼこ」と変化し、最終的には言いやすいように小さい「つ」が入って「日なたぼっこ」となったのではないか、と考えられます。

この2つの説、どちらも「なるほど!」と納得することが多く、どちらが本当の由来かは判定できないですよね・・・。

日本語って奥深いです。

スポンサーリンク


「ひなたぼっこ」の「ぼっこ」って、一体どういう意味なの?

出典:photo AC

ところで、「ひなたぼっこ」の「ぼっこ」の意味が気になるところですが、実はこれ、「子ども」という意味ではないか、と考えられています。

岩手県花巻市出身の宮沢賢治。

彼の作品の中に「ざしき童子のはなし」というのがあるのをご存知でしょうか?

この作品、普通に読むと、「ざしきわらしのはなし」となりますが、実は「童子」に「ぼっこ」と読み仮名が振られています。

賢治の作品からわかるように、岩手県では「子ども」のことを「ぼっこ」と呼ぶのだそうです。

余談ですが、北海道では「ぼっこ」というと「棒」を表します。

同じことばでも全く違う意味ですよね・・・。

話を元に戻しましょう。

「ぼっこ」を子どもの意味だと考えたとき、「日なたぼっこ」=「日なた子ども」となるわけでえす。

でも、これってちょっと意味がわからないですよね・・・(北海道弁の「棒」にしたら、「日なた棒」って、まったく意味がわからないことばになります)。

というわけで、少し私の乏しい想像力を働かせて、こんな仮説を立ててみました。

子どもが日なたで遊んでいます。最初は楽しそうに遊んでいた子どもが、あまりにも暖かい冬の日差しを浴びていたら、ひなたでうとうとと寝始めました。

このうたた寝が1度だけではなく毎回続くと、大人たちは「日なたで遊ぶとぼっこ(子ども)がすぐ寝ちゃう」というような「子どもあるある」の1つになりました。

他のママ友(昔はママ友とは言わないでしょうが・・・)と話しているうちに、ことばが略されて「ひなたぼっこ」となった、という、かなり苦しい説です。

寝ている猫

出典:photo AC

さらにもう1つ、頑張って仮説を立てました!

日なたで子どもを遊ばしていると、子守をしている大人が眠くなってしまうことから、「日なたでぼっこを遊ばしていると、うとうと眠くなる」というのが短くなって「日なたぼっこ」となった、というこれまた苦しい説です。

やはり、前述の2つの説が有力なのは間違いないですね(汗)。

でも、たまにこんなふうに仮説をたててみるのも頭の体操になりますよ。

【あと書き】

いかがでしたか?

ことばは時代とともに変化していく、まさに「生き物」です。

語源を調べるだけでなく、自分の独自仮説を立ててみるのも、これまた楽しいものです。

みなさんも「日なたぼっこ」のオリジナル語源仮説を立ててみてはいかがでしょうか?